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フジコ・ヘミング女史
エッセイ / TAKAHIRO AKIBA

 今日は、母とともに初の生フジコ・ヘミング女史を聴きに、上田市交流文化芸術センターへ。正直言って、深い感銘を受けたとともに、驚愕すらしてしまった!彼女の持つ響きに、どれほど豊かな色彩と芳香が含まれているか、これはやはりライブでこそ鮮明に伝えられるものなのだということを痛感。
 自在かつ豊かな抑揚をもったフレージング、音楽に秘められた深遠な詩的構造に対する極めて繊細な感覚、高貴な心理描写、そして音楽的時間における塑像性など、現代の演奏家の多くが失った演奏芸術の重要な諸要素を体現する稀有な存在の一人だと感じた。
 日本の音楽界はもっと彼女に敬意を表し、感謝すべきではないだろうか!

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赤道の星空
エッセイ / TAKAHIRO AKIBA
シサスク氏の初来日まで、残すところあと3日となりました。

シサスクがライフワークとして1980年から書き続けていらっしゃる連作ピアノ曲集《銀河巡礼》(正確には《星空》もしくは《星空のサイクル》と訳されるべきなのだが、日本では《銀河巡礼》で定着している)。第1集「北半球の星空」(1980-87)、第2集「南半球の星空」(1994-95)、第3集「古代エストニアの星空」(2003-04)ときて、いよいよ第4集となる「赤道の星空」はエストニアン・ミュージック・プロジェクト(私と吉岡裕子さんのコンビ名)のために作曲してくださるという夢のような展開になっています。

シサスク自身の言葉によれば、さらなる将来に作曲される第5集「北極の星空」で全天88星座を巡る連作が完結するそうですが、今回の「赤道の星空」は、今年55歳となる彼が2004年頃からおよそ10年をかけてその構想を温め続けながら、わざわざ天体望遠鏡を携えて赤道地方(インドのゴアなど)にまで足を伸ばして観測データを集めてくるなどして作曲の準備を行っていたという待望中の待望の大作。つい先ほど、この曲集に含まれる星座一覧が明らかとなったのですが、いて座やうお座、やぎ座、さそり座などのお馴染みの星座から、ちょうこくしつ(彫刻室)座、ぼうえんきょう(望遠鏡)座、ほうおう(鳳凰)座、みなみのかんむり(南の冠)座、らしんばん(羅針盤)座などといった珍しい名称のものを含む全22星座が選ばれています。

更なる詳細については、シサスク氏が日本に到着してからたっぷりとお話を伺えると思いますが、「作曲は日本旅行から帰り次第、すぐに開始する」と仰っておられるので、とにかく23日の演奏会では彼の創作意欲に火をつけるような渾身の演奏を披露しなければと、吉岡さんともどもプレッシャーを感じています・・・


 
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木々について
エッセイ / TAKAHIRO AKIBA
しかしながら、我が家は典型的な昭和型の家屋であるわけだが、自室の天井の材木の木目を眺めることは面白い。これらの模様は、海のようにもみえるし、風のようにもみえ、山々のようでもあり、妖怪の顔のようでもあるし、はたまた星雲や銀河のようでもある。そもそも、これらの木々は一体どこからきたのか。そもそも、一体、木とは何なのか。我々が知っていると思い込んでいる木の姿は、おそらく、我々人間が信じ込んでしまった「木」という概念そのものに過ぎない。木は本来、何者かによる手紙のようなものかもしれないし、彼らの上司たる地球の「恥ずかしい事実(?)」を暴露する週刊誌のようなものかもしれないし、はたまた「哲学者」か「小説家」かもしれないし、何らかの装置か宇宙基地かもしれないし、あるいは、「神」かもしれない・・・

もちろん、木は我々よりもよほど多くのことを知ってはいるのだろうが、それについて一言も語ろうとはせず、今日も天井から、窓辺から、床から、私の「あーでもない、こーでもない」を無言で見張っている。
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星の王子様⇔バオバブ
エッセイ / TAKAHIRO AKIBA


5月9日の《響きの風景〜エストニア室内音楽の夕べ》のプログラムの中から、最後に私が演奏させて頂くシサスクの《銀河巡礼〜南半球の星空》(※当日演奏されるのは最後の4曲のみ)。今年いよいよ結成10周年を迎えるエストニアン・ミュージック・プロジェクトの記念すべき第1回公演(2005年/東京オペラシティ・リサイタルホール)がこの《南半球の星空》の日本初演だったのですが、オーストラリア先住人”アボリジニ”たちの世界に伝わる天空に因んだ伝説を題材とした演奏時間80分を超えるこの超大作を、ピアニストの吉岡裕子さん、俳優のたかぎひろみちさんのナレーションで全曲演奏した時の楽しさは今でも忘れられません。

当時のコンサート・ブックレットに素晴らしいメッセージを寄稿してくださった舘野泉先生は「タリンの港で偶然出会ったシサスクという男は、まさに自らが星の創生のごとく巨大なエネルギーを放射しており、(星座に想いを馳せて作曲活動をしているのだから)”星の王子様”と言いたいところだが、バオバブのような怪しい姿でもある」(要約)と、この強固で謎めいた、清らかで自由奔放な精神を有した個性的作曲家の本質的特徴を”バオバブ”という強烈な語によって見事に喩えられたことを、この動画を改めて視聴しながら、シサスクへの敬意と親愛の念とともに、思わずにんまりと思い出してしまいます。

ウルマス・シサスク/ピアノ曲集《銀河巡礼〜南半球の星空》Op.52から 〈かじき座 ― 霧の悦び〉

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光の画家
エッセイ / TAKAHIRO AKIBA


アルヒープ・クインジ Архип Иванович Куинджи(1842年 – 1910年)は、19世紀を代表するウクライナ出身の画家。レーピンやレヴィタンなどとともに「移動展派 "Передвижники"」の代表的な一人として高度な芸術的功績を残した人だが、先述の二人に比べて、どうやら日本国内における認知度はさほど高くはないようだ。

私は数年前に東京都美術館にて開催された《国立ロシア美術館展》を訪れた折、クインジの作品の前に初めて立ったその瞬間、その一種異様ともいえる「魔力」に完全に捕らわれてしまった。クインジ作品の魔力、つまり、自然界に内包される光そのものに絵筆を浸し、そのありのままをもってキャンバスを彩ってゆくような画法は、「輝き」の情感的表現において古今東西の画家たちを大きく凌駕し、二つとない圧倒的な魅惑を燈しているように思う。彼の作品から放たれるそのあまりにも真実味を帯びた「光」に、私は思わず、額の背後に特殊な照明器具による演出が仕組まれているのではないかと疑ってしまったが、クインジの肉声をのせたその不思議な光との無言の対話に、すっかりと我を失い、時の制約を忘れてしまったことを今でも覚えている。

残念ながら、こうした画像はおろか、色彩への繊細な配慮が施された優れた画集においてさえも、クインジのあの魔術的な「光」は全くもって(!)再現されていないし、したがって、実際の作品の前に立たなければその静謐で神秘的な輝きに照らし出される自らの心の濃淡に気付くこともできない。

近い将来、日本で、あるいはモスクワで再び彼の「光」に出会える日が訪れることを心待ちにしている。

【画像:アルヒープ・クインジ作《エリブルス山、月夜》/1890-95年作】
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モーツァルト作?!謎のソナタ
エッセイ / TAKAHIRO AKIBA


おそらく、よほどのモーツァルト愛好者か、熱心な音楽学者でなければ、殆どの人々がその存在にすら触れることなく過ごすであろうこの「モーツァルト作」とされる謎のクラヴィーア作品、《ソナタ 変ロ長調 KV498a / Anh.136》。

1798 年に P・トーヌスの校訂によって、ブライトコプフ&ヘルテル社から「モーツァルトの遺作」として出版され、その後も、バルトーク校訂版(ブダペスト版)やゴリデンヴェイゼル校訂版(モスクワ版)をはじめとしたいくつかの《モーツァルト:ソナタ全集》において、いわゆる学術的根拠なく《ソナタ 第20番》として含まれてきたこの作品であるが、現代の主要な学説において、このソナタはおそらく実際にはアウグスト・エベルハルト・ミュラー (1767〜1817)によるものであるという説が有力となっており(実際に、ミュラーはその生涯においてこのソナタを自身の「Op.26」として出版している)、他のモーツァルトのクラヴィーア用ソナタには決して見られない4楽章構成であるという点、また、アンダンテ楽章およびロンド楽章が明らかに過去作品の部分的転用(前者はKV450の緩徐楽章と同一の主題による変奏曲、後者はKV450、KV456、KV495の終楽章からの転用)であるというような、いくつかの不可解な点を有していることを考慮するなれば、やはり偽作とする判断も決して否定できない。しかしながら、代表的なモーツァルト研究者の一人であるアルフレート・アインシュタインは、第1楽章および第3楽章を真作とし、後者に関しては、《アイネ・クライネ・ナハトムジ―ク K. 525》から削除されたメヌエット楽章を転調したものであるとの説も主張している。

いずれにせよ、その真相を明らかにする鍵は今日現在見出されていないが、この際、一切の作品成立史的背景を無視し、純真な心とともにこの作品において語られる音楽的内容に耳を傾けるならば、モーツァルトの創造的精神に驚くほど深く共鳴する要素は決して少なくなく、とりわけアレグロ楽章に至っては、思わず「モーツァルトの知られざる新作発見!」と信じたくなるほどの情感的豊かさと、芸術的純度を有しているように思える。

残念なことに、この作品の成立上の謎にこれ以上立ち入ることは闇の領域の何者かによって頑なに拒まれているが、しかし、未知なるモーツァルトの肖像に想いを馳せる夢を受け取る自由は、いまだ私たちの手の中にあるのではないだろうか。

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我が家のピアノ
エッセイ / TAKAHIRO AKIBA
我が家のピアノ(ヤマハ)は呆れるほどに飼い主(つまり私)に似たというか、恐ろしく気分屋である。その日の天候、雰囲気、+アルファ何らかの事情によって、毎度、まるで別人のように私に対する態度が異なる。ある日は立派な歌手のように凛々しく響き、ある日は瀕死の患者の声のように響き、ある日は螺鈿のような色彩を放って響くこともあるのだが、今日は一段とご機嫌斜めのようで、うんともすんとも言わない。以前ならば「なにか?お前はスタインウェイにでもなったつもりなのか!生意気な!」とこちらも激しい怒りの念をもって奴に抗議するところだが、ここ最近はどうもそのような気にもなれない。なぜならば、私自身が奴と全く同じ性格であり、奴の声音は鏡そのものであり、今の私の精神状態そのものであるということを知っているからである・・・
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切なる願い〜未知なるもの
エッセイ / TAKAHIRO AKIBA
音楽を愛する全ての人々は、是非とも、同時代に生きる作曲家たちの作品にも興味を持ってほしい、そして、才能ある彼らが宇宙から引き出したメッセージに耳を傾けて欲しい。「現代音楽」などという有害な抽象的概念とは今すぐ決別し、未知なるイメージや表現の形、新たなる音楽言語によるコミュニケーションの可能性というものに対して恐れることなく、ただそのありのままを受け入れて、響きに彩られたその時間との対話をシンプルに楽しんでほしい。音楽の内部構造に対する詮索や分析など一切必要ではない。それは多種多様な人間の個性や容姿を受け入れる場合と同じことで、たとえば、「美しい」と感じる相手を分析すればするほど興醒めしてゆくのと似ており、ましてや彼らの肌にメスを入れてまでその美の謎を解明しようなどとする行為は、グロテスクな愚行であると言える。「謎」のない美など美ではないし、論理によって解明できるものなど、所詮は「真実」ではないのだから。
重要なことは、自らの意識チャンネルを全開放し、未知なるものからのアクセスを決して拒むことなく、それらが語りかけるものを率直に感受するということであり、それを著しく妨げる「蓄積されたもの」を捨て去るための、スプーン一杯分の勇気を持つことである。
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アルメニアの至宝、アラクス・マンスリアン
エッセイ / TAKAHIRO AKIBA


彼女の歌声は強靭かつ真なるものであり、ドラマティックな陰影に満ち溢れ、全ての音域を通して確固たるものであった。そして、その立ち居振る舞いまでもが目覚ましいほどに繊細なのである。
"OPERA-OPERA"誌(2003年7月号)

アルメニアが生んだ“声の至宝”アラクス・マンスリアン Arax Mansourianの名は、彼女のその魔術的な歌声に憑かれた全ての聴衆たちの心の奥底に刻印されるものであるばかりか、世界各地の伝統あるオペラ劇場やコンサートホールに満ち溢れる芸術的精神そのものへの清らかな接吻の証とも言えるでしょう。
「音楽こそ我が生涯そのもの」と語る彼女の創造的活動の全ては、まさに、音楽への献身と奉仕そのものです。彼女の祖国アルメニアの国立歌劇場、そして、彼女の新天地となったオーストラリアのオペラハウスの夜に集った聴衆たちを深い感銘とともに震撼させたその膨大なレパートリーは、彼女の唯一無二の音楽的天性に加えて、類稀なる探究心と洞察力、並々ならぬ勤勉さによって練磨の極みを尽くされたものであり、その演奏解釈と感情的表現は、作者の思想と構想、作品に秘められた真実と神秘への絶対的な忠誠心に基づくものにほかなりません。

私自身が彼女の芸術の虜となった最初の契機は、彼女のもうひとつの顔、室内歌手としての姿を通してのことでした。絢爛たる技巧性や輝かしさを要するオペラの表現技法とは異なり、より内省的で微細な感情的色彩感覚を要する室内歌曲の世界においても、彼女は最高の表現者の一人ですが、彼女の歌うコミタス(アルメニアの作曲家)の『鶴』を、映像を通して初めて耳にし、目にした時のあの鮮烈な印象は今でも忘れることができません。
一羽の鶴に遥かなる祖国アルメニアからの便りを求め、無言のうちに飛び去るその鶴に祖国へと飛ぶように哀願する孤高のアルメニア人の姿を描き上げたこの作品は、まさに全てのアルメニア人たちの精神的象徴ともいえる音響的内容を秘めた音楽ですが、作品において描写される繊細極まりない心象変化、旋律の隅々に刻み込まれたアルメニア的精神、神聖な言葉の抑揚というものを、マンスリアン女史はまさに完全に、非の打ち所なく、人間の最も本質的で豊かな感情世界に深く浸透し、共鳴する響きとして具現化しているのです。
コミタスの他にも、ハチャトゥリアンやティグラニアン、ガナチアンといったアルメニア人作曲家の声楽作品、ヴェルディやプッチーニ、ヘンデル、ラフマニノフなどの名作における彼女独自の芸術的アプローチに接するたびに、驚き、陶酔し、深い感銘を受け、いつしか、私の最も敬愛し、崇拝する芸術家の一人としてアラクス・マンスリアンの名を常に思い浮かべるようになるばかりか、彼女の音楽が私自身の創造的活動に最も重要な影響を与えるものの一つとなっていることに気づくようになりました。

現在ではオペラ界を離れ、オーストラリア音楽大学の名教授として次世代を担う若手歌手の育成に情熱を注いでいらっしゃるマンスリアン女史ですが、来年秋に待望の初来日、私とともに日本の舞台に立ってくださることになりました。私とのデュオ・リサイタルのほかにも、声楽家のためのマスター・クラスも開いてくださることになっており、いずれも彼女の“魔術”の秘密を垣間見るまたとない貴重な機会となることでしょう。皆様、どうぞご期待ください!


【アラクス・マンスリアン Arax Mansourian】
 アルメニア共和国の首都イェレヴァン生まれ。国立コミタス記念イェレヴァン音楽院声楽科を卒業後、アルメニア国立歌劇場を代表するソプラノ歌手として活躍。1994年にオーストラリアに移住し、活動拠点をシドニーに置く。
 その絶妙な声色と豊かな声域、磨き抜かれた演技力によって、マンスリアンはこれまでにアルメニアおよびロシア、ヨーロッパの名作オペラの数々を演じ、アルメニアでの活動期においては、ヴェルディの『アイーダ』のタイトルロールをはじめ、『イル・トロヴァトーレ』(レオノーラ役)、『ドン・カルロ』(エリザベッタ・ディ・ヴァロア役)、レオンカヴァッロ作曲『道化師』(ネッダ役)、プッチーニ作曲『ラ・ボエーム』(ミミ役)、チャイコフスキー作曲『エヴゲニー・オネーギン』(タチアーナ役)、『スペードの女王』(リサ役)、ジョルダーノ作曲『アンドレア・シェニエ』(マッダレ―ナ役)、ティグラニアン作曲『アヌーシュ』(タイトルロール)などを主要レパートリーとした。1993年にはモスクワ国立交響楽団との共演による、アラム・ハチャトリアンの『三つの演奏会用アリア』のソリストとしてモスクワに招かれる。
オーストラリア移住後、オペラ・オーストラリアのソリストとしてプッチーニ作曲『トゥーランドット』(リュー役)、『オテロ』(デズデーモナ役)、ヴェルディ作曲『運命の力』(レオノーラ役)、ワーグナー作曲『タンホイザー』(エリーザベト役)、ヴェルディ『ドン・カルロ』(ヴァロア役)、『シモン・ボッカネグラ』、ワーグナー作曲『パルジファル』(クンドリ役)、『トリスタンとイゾルデ』作曲(イゾルデ役)、ジョルダーノ作曲『アンドレア・シェニエ』(マデロン役)、ヴェルディ作曲『仮面舞踏会』(アメリア役)などを演じた。また、ABC(オーストリア放送協会)主催によるシドニー・オペラハウスにおけるコンサートにおいてシドニー交響楽団と、オペラ・ガラにおいてキャンベラ交響楽団と共演。1996年にはベートーヴェンの『第九』ソリストとしてシドニー交響楽団と共演したほか、同年から1997年にかけて、国際マイケル・エッヂリー&ケヴィン・ジェーコヴソン・スタジアムプロダクションによる『アイーダ』ツアーに参加し、タイトルロールとしてパース、ブリスベン、シンガポール、オークランドの劇場に出演。2000年にはヴェルディ作曲『レクイエム』のソリストとしてシドニー・フィルハ−モニアと、また、ブリテン作曲『戦争レクイエム』のソリストとして、メルボルンにおいてインデペンデント・クラシックスと共演。2002年、シドニー・オペラハウスにおいてヤナーチェク作曲『カーチャ・カバノヴァ』のタイトルロールを演じ、同年、マスカーニ作曲『カヴァレリア・ルスティカーナ』のタイトルロールとして、メルボルン芸術センター、オペラ・クーインズランド、シドニー・オペラハウスに出演。2003年、サンフランシスコおよびロスアンジェルスにおけるアルメニア宇宙線研究所記念演奏会に客演し、同年、クイーンズランド・オペラ制作による『トスカ』のタイトルロールを演じる。2006年、オペラ・オーストラリア制作によるプロコフィエフ作曲『三つのオレンジへの恋』においてファタ・モルガナ役として出演し、同年、アルメニア総合慈善同盟100周年記念事業としてシドニーで上演された『アヌーシュ』のタイトルロールを務める。
このほか、アルメニア最高の室内楽歌手の一人としても、ロシア、ウクライナ、エストニア、グルジア、ブルガリア、スウェーデン、ドイツ、フランス、オランダ、カナダ、アメリカ、シリア、レバノン、エジプト、オーストラリアの主要なコンサートホールに出演。

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手に取る喜び CD編」
エッセイ / TAKAHIRO AKIBA



最近の若い世代の人々(!?)は「CD」を探しにレコード店を訪れたり、一枚一枚を手に取って眺めたりすることは滅多にないと聞き及びます。ダウンロード主義世代とでも言うのでしょうか…

しかしながら、古今東西、星の数ほどあるCDの中にはそれほど興味深くないものも多くあれば、中には、ディスクに記録された響きの内容はもちろんのこと、その音楽的コンセプトに彩りを加えるような美しいデザイン、イマジネーションをかきたてられるようなジャケット写真、優れた文章によって綴られたブックレットによって構成され、演奏者や製作者が一丸となってその音楽的内容を世に届けたいという誠実な願いのもと、真心を込めて創り上げた素晴らしい「作品」もあるように思われます。そういったものは書物や楽譜などと同じく、我々の精神生活における「心の薬」であり、「財産」であり、「最高の贅沢品」だと思います。

そちらにおわす若人の皆さん、休日の昼下がりにでもレコードショップへでも足を伸ばして、是非ともまずは品物をその手にとってみてはいかがでしょうか。


 


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