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ラフマニノフ作品の楽譜について
ラフマニノフ / TAKAHIRO AKIBA
 


左から『楽興の時 Op.16』(1997年、モスクワ・ムジカ社)と『幻想的小品集 Op.3』(1993年、同社)のクリティカル・エディション


 プロフェッショナルな意識を有する音楽家であれば誰しも、各々の作曲家の作品を習得するに際して、作曲家の思想的構想を指し示すテクストへの透明度の高い視界を得るべく、「原典版」に目を通したいと願うものではないだろうか。これまで、バッハにせよ、モーツァルトにせよ、あるいはベートーヴェンやシューベルト、シューマン、ショパンなどにせよ、様々な学術的視点から綿密にアプローチされた興味深い「原典版」の数々が世に問われ、作曲家の創造的精神に対して敬虔な忠誠心を持つ演奏家たちの芸術的思索への旅路を救ってきた。
 さて、我らがラフマニノフにおいてはどうであろうか。彼の作品における「清らかなテクスト」は、果たして我々に提供されているのであろうか。

 21世紀に入り、モスクワに本拠を置く1909年創業の”ロシア音楽出版社 (Russkoe Muzykal'noe Izdatelstvo)”がべーレンライター社、ブージ―&ホークス社の二社と手を組んで刊行を開始した『ラフマニノフ全集』。この計画は、ヴァレンチン・アンティポフを編集主幹とし、名だたるラフマニノフ研究者たちによって組織された編集委員会を基盤としつつ、ラフマニノフの全音楽的遺産のみならず、文学的遺産(書簡やインタヴュー、回想録などを含む)をも網羅した画期的かつ歴史的な「大プロジェクト」として世界的注目を集めた。2003年には、それまで中間部を大きく欠く不完全な姿でのみ知られていた秘曲「フーガ ニ短調」(本全集の登場以前は「小品(もしくは”カノン”)ニ短調」というタイトルを得て出版されていた)、作品の存在すら知られていなかった初期の習作「管弦楽のための組曲 ニ短調」(※現存するのはピアノ独奏用バージョンのみ)の二作品の先行出版を皮切りに、知られざる異稿を含む「絵画的練習曲集」や「前奏曲集」など、驚愕すべき学術的内容を反映する「ラフマニノフ作品の原典版」の刊行がようやく開始されたかと世の演奏家や研究家たちを狂喜させたも束の間、間もなく刊行は中断され、既にその存在は続刊を待ち望む人々の記憶から薄れて久しい。これはまさに事実上の計画頓挫と言ってよいだろう。

 新たなる「原典版」への期待が断たれた今、我々はいかにしてラフマニノフのテクストの実像に接し得るのであろうか。未知なる計画の夢の彼方へと消え、陽の目を浴びる機会を逸した他の作品の真実はいずこへ…

 [次回につづく(かも)]


(掲載内容の無断転載を禁ず)
 

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ラフマニノフの肖像
ラフマニノフ / TAKAHIRO AKIBA

 

 

 私の最も好きなラフマニノフのポートレートの一つ。すっかりと憔悴し衰えたその表情、低く落とされた眼差し、眩いほどの歓喜と壮絶な苦悩を刻み込んだ無数の皺。不世出の天才と謳われた彼も、一人の人間として生を慈しみ、死を畏れた姿が、ここに静かに伝えられているように感じます。


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古今東西の名ラフマニノフ弾きたち 第0回
ラフマニノフ / TAKAHIRO AKIBA
 ロシアのみならず、今や世界の壮大な音楽史の中においても燦然たる輝きを放つ偉人の一人として讃えられるセルゲイ・ヴァシリエヴィチ・ラフマニノフの芸術とその人間性を信奉する者として、その創造的遺産や評伝的記録のみならず、彼が生きた時代から今日に至るまでに、彼の音楽が世の演奏家たち(演奏家としてのラフマニノフを含む)によってどのように読み取られ、どのように表現され、それがどのように聴き手に伝えられてきたかという、「演奏史」なる領域にも少なからぬ興味を抱いています。

 全ての演奏家や作曲家、研究家および評論家、あるいは愛好家において、皆それぞれ独自に築き上げてきた、あるいは「築きあげられてきた」音楽観というものがあり、音楽的経験の形も多種多様であるわけですが、特に今日しばしば見受けられる演奏家たちによる作品解釈の正統性を巡る論争ほど無益なものはありません。例えば、ショパンの音楽において、「ポーランド式の伝統的解釈」であるとか、「フランス式の伝統的解釈」などという、全く根拠の無い、作曲家の精神そのものを二の次として、自分たちがあたかも何かの安全ライセンスを得ているかのような錯覚に陥っている様を公然と露わにしておられる演奏家たちが少なからず世の中に存在していることは、大変に残念なことと言えるでしょう。そして、ラフマニノフの音楽を巡るそれにおいても同様のことが言えます。ラフマニノフの音楽は、彼自身の言葉が示すとおり、ロシアの風土や精神、そしてその地に暮す人々の気質や視点、崇高な信仰心といったものそれ自体に根差すものであり、まさに、まぎれもない「ロシアの音楽」にほかなりません。しかし、その音楽において、「伝統的解釈」(しばしば用いられる「ロシア的解釈」というような語を含む)なるものは全くもって無意味なものであり、彼の音楽に秘められた「真実の光」を屈曲させるものに過ぎないのです。そうしたあらゆる邪悪な束縛に一切囚われることなく、ただただ無心となって作曲家の魂の声に耳を傾け、その清き言葉を待ち望む者にだけ、作品の「真実の姿」に触れることが許されるのです。

 そうした「魂の声」を伝える演奏家を求める私の旅の過程において、まさに、ラフマニノフの魂から発せられた内なる声を伝える数少ない「古今東西の名ラフマニノフ弾き」たちと巡り会うことができたことは、私の音楽人生において最も幸福感に満ちた精神的体験の一領域となっています。
 
 『古今東西のラフマニノフ弾きたち』第1回となる次回は、現代ロシア・ピアノ界最後の巨星「ヴィークトル・メルジャーノフ」をご紹介したいと思います。

[今後の執筆予定]

 第1回 ヴィークトル・メルジャーノフ
 第2回 アルノ・ババジャニアーン
 第3回 ミハイール・プレトニョーフ
 
 第4回以降未定

 (※演奏家の年代は順不同です。また、掲載回は執筆者の気分により予告無く変更される場合がございますので悪しからず!)
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