PROFILE
LATEST ENTRIES
RECENT COMMENTS
ARCHIVES
CATEGORIES
OTHERS
SEARCH

我が音楽の友人たち 神田周輔(医師/ピアニスト、作編曲家)
我が音楽の友人たち / TAKAHIRO AKIBA
 


Shusuke Kanda

 
 並はずれた好奇心と知性、柔軟な発想力と純粋な表現意志を持った人物が、多義にわたる領域に才能を開花させ、その創造性溢れる実行の数々が多くの人の心に消し難い印象を刻み込むということがあります。もちろん、そのような天性の資質を持った人物に出会うことは極めて稀ですが、私は神田周輔という人物を通して、一人の人間が複数の才能に焔を燈し続けることができるということを目の当たりにすることができました。

 全くもって奇跡的と言うことしかできないほど、神田氏と私との出会いは偶然の幸運によってもたらされたものでした。当時、一世を風靡した某SNSの「足あと」に、"かん"と称するユーザーの名が表示されるまで、私にはこのユニークな人物の存在を事前に知る術などなく、もちろん、共通した知人も誰一人としていませんでした。そのような中、我々が相互に共有する、目にも明らかな唯一の共通要素といえば、「セルゲイ・ラフマニノフ」のコミュニティ参加者であるという点のみでした。そして、お互いがお互いを並々ならぬ「ラフマニノフ信奉者」であるということを確認するや否や、我々は意気投合し、その親交を深めるまでに要した時間は極めて僅かなものでした。もちろん、共通した音楽的趣向を有しているということ以前に、彼の持つその温かい人間性、知的柔軟性や並はずれたユーモアというものに感銘を受けなかったとしたら、彼に対する私の友情はさほど深いものにはならなかったでしょう。

 秋田大学で医学の道を志し、一方で、大学のピアノサークルの中心的人物として絶大な人気と信頼を得ていた神田氏は、2006年、予てよりその構想について温め続けていた市民オーケストラの設立を実現。彼の一声によって、秋田県内外から集ったアマチュア演奏家や、在京オーケストラに所属する優れた演奏家たちが一堂に集い、「秋田なま☆はげオーケストラ」が結成されたのです。その破格にユーモラスな団体名称に負けずと劣らず、2007年5月に行われた第1回定期演奏会で彼らが創り上げた音楽の熱狂――とりわけ神田氏が渾身の情熱を込めたラフマニノフの「ピアノ協奏曲 第2番」――は、会場に巨大な旋風を巻き起こしたのです。その後、神田氏は「なまはげ」の団長を務める傍ら、ラフマニノフの「ピアノ協奏曲 第3番」や「パガニーニの主題による狂詩曲」、ガーシュウィンの「ラプソディー・イン・ブルー」などのソリストとして出演を果たし、また、彼の才能に魅了された他のオーケストラの主宰者からの招きによって、神田氏は他の音楽団体の客演奏者としてもしばしば出演しました。

 そのような「客演」の椅子の一つを与えられた神田氏が、ある時、私に電話をかけてきてくれました。「モーツァルトの2台のピアノのための協奏曲を一緒に弾かないか?」との声に、一瞬耳を疑いつつも(なぜならば、この協奏曲を演奏することは私にとっても大きな夢の一つだったからです)、彼からのその奇跡的な幸福感すら漂わせるオファーを断る道はどこにもありませんでした。東京での入念なリハーサルを重ね、2009年初夏に神田氏の故郷である北海道の地で実現したこの演奏会は、私のささやかな音楽生活の中で最も思い出深い公演となりました。(おそらく、神田氏自身もこれに同意してくれることでしょう)

 2011年、秋田大学卒業を迎え、多くの人々に惜しまれつつも「団長」の座を新たな世代へと譲り渡すことを決した神田氏は、全ての「はじまり」であるラフマニノフの「ピアノ協奏曲 第2番」を別れの歌に選び、秋田の地を去りました。彼は自らの分身であり、青春の証でもある「なまはげ」への置き土産として、自作による抒情的な「団歌」を捧げ、作品は同年3月に団員有志による歌唱によって初演されました。

 その後、志を立てた医学への道に専念すべく、医師国家試験を経て、今や白衣に包まれた気鋭のドクターとして日々医療現場に従事する神田氏。ところが、これも彼の天分であるためか、「医師の一人」には決しておさまらず、相変わらず周囲の人々を惹きつけ、創造的な影響を与え、新たなる独自の「恒星系」を形成しつつあるようです。まさに、彼が人々を動かすのではなく、人々が彼のために動いてしまうのです。

 これはまたもや賑やかに「ひと嵐」来るのではないかと、その雲行きを私は密かに感じつつ、のんびりと心待ちにしています…


>


ラフマニノフ:パガニーニの主題による狂詩曲 Op.43

ピアノ=神田周輔
指揮=岡田友弘
管弦楽=秋田なま☆はげオーケストラ

 
【神田周輔 プロフィール】
 1982年、札幌市生まれ。3才よりピアノを始める。全日本学生音楽コンクール北海道大会第1位、STV青少年音楽コンクールSTV賞をはじめ、数々のコンクールに入賞。札幌北高校進学後、音楽研鑽および演奏活動を一時休止するが、秋田大学進学を機に再開。同大在学中に「秋田なまはげオーケストラ」を設立(現在、同団代表)。これまでに行われた同オーケストラの全ての演奏会においてソリストを務め、ラフマニノフ(第2番、第3番、パガニーニの主題による狂詩曲)、ガーシュウィン(ラプソディー・イン・ブルー)の協奏曲を共演。2009年には、当団コンサートマスターでもある藤村政芳氏による主催公演「第2回おしゃべりコンサート」(北海道江別市)に出演し、同氏との共演のほか、ピアニストの秋場敬浩氏とモーツァルトの「2台ピアノのための協奏曲K.365」を共演し、好評を博す。この他にも、札幌、山形各地のオーケストラからもソリストとして招かれ、また、オーケストラとの共演のほかにも、ソロ、室内楽などにおいて活発な演奏活動を行う。2010年にはロシアに渡り、巨匠エミール・ギレリスの流派を汲む名教師タチアーナ・コーリチェワ女史にその才能を認められ、女史の薫陶を受ける。
 秋田大学医学部を経て、現在、菊名記念病院勤務。

| comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
pagetop
我が音楽の友人たち 手嶋沙織(ピアニスト)
我が音楽の友人たち / TAKAHIRO AKIBA

 


Saori Teshima



 私が最も敬愛する師である原田英代先生の下で薫陶を受けた”妹弟子”であり、共にモスクワの学び舎において切磋琢磨しあった仲間であるピアニストの手嶋沙織さんとの出会いは、今から8年ほど前のことになります。今でも決して忘れることはできませんが、2004年に自ら受講したあの宿命的な(まさに私の人生を180度覆すほどの巨大な衝撃を与えてくださったヴィークトル・メルジャーノフ教授と原田英代先生との出会いの最初のページとなった)「第4回秋吉台音楽ゼミナール」の修了コンサートの舞台上で、一人の小柄で可憐な少女が一心にピアノに向かい、彼女のその心の奥底から泉のごとく湧き出るファンタジーそのものがリストの『伝説』を奏で紡いでいる光景に、私は大きな衝撃を覚えました。急いで手元のプログラムに目をやり、そこに記されている演奏者の名前を確かめたその瞬間に、「手嶋沙織」というピアニストの名前が私の記憶に刻まれたのです。そしてその翌年、惜しくも最終回となってしまった同ゼミナールのファイナルコンサートで、彼女が奏でたラフマニノフの前奏曲の、そのあまりに輝かしく見事なインタープリテーションに言葉を失った聴衆は、もはや私だけではなかったでしょう。作曲家が、閉ざされた自らの故郷ロシアに対する果てない望郷の念を綴ったロ短調(Op.32-10)、湧き溢れる春の息吹とともに生への歓喜を高らかに謳った変ロ長調(Op.23-2)、いずれの音楽も、演奏者である彼女自身がラフマニノフの精神と直接対話し、その言葉の内容を響きによって聴衆たちに語り伝えたいという並々ならぬ熱意とともに、驚くほど生き生きとしたイメージとなって私たち聴衆の心に投影されたのです。

 その後、彼女は武蔵野音大の学部を卒業、私は藝大の大学院を修了し、時期を僅かに違えて共にモスクワに渡ることになったわけですが、気が付けば今や、かけがえのない音楽仲間、親友の一人となっていました。

 共通した音楽的言語を有しつつ独自の言葉を語り合い、純粋な音楽的感動を共有し、そして、音楽家に課せられた真の任務を探し求める果てない旅路において共に手を差し伸べあうことのできる友人というものは、まさに音楽家の生涯における最高の財産であり、「宝」です。幸運にもそのような「宝」を、私自身も手にしているのだということを気付かせてくれる一人が、まさに手嶋沙織さんなのです。


 【手嶋沙織 プロフィール】
山口県生まれ。武蔵野音楽大学器楽学科を経て、2009年よりチャイコフスキー記念国立モスクワ音楽院に学ぶ。ピアノを原田英代、ユーリ・スレーサレフの両氏に、歌曲伴奏をユーリア・コーガン、室内楽をドミートリィ・ガリーニンの両氏に師事。
「コスタ・アマルフィ国際ピアノコンクール」(イタリア)、「ムーズィ・ミーラ国際コンクール」(モスクワ)、「ドン・ヴィンチェンツォ・ヴィッティ国際音楽コンクール」(イタリア)などのコンクールにおいて、それぞれ上位入賞を果たす。
日本、ロシア各地において活発な演奏活動を展開し、ソロ・リサイタル、オーケストラとの共演、室内楽および声楽のピアノ奏者を務める。とりわけ、ロシア・カルーガ市での室内楽演奏会(2011年3月)における出演は絶賛を博し、現地紙において「モスクワ音楽院に学ぶ日本人ピアニスト、サオリ・テシマの見事な演奏を特筆したい。彼女はそのインスピレーションに満ちた音楽作りによって、ソリストが彫り込みの深い音楽的イメージを創り出すことをサポートし、舞台上における完璧な共演者となっていた。」と報じられた。

 

| comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
pagetop
我が音楽の友人たち タテヴィク・モヴセシアン(声楽家)
我が音楽の友人たち / TAKAHIRO AKIBA


Tatevik Movsesyan



  • 2011年ロシア連邦タタールスタン共和国の首都カザンにて開催された「第3回ルステム・ヤーヒン国際声楽コンクール」において見事上位入賞を果たしたアルメニアの若手ソプラノ歌手タテヴィク・モヴセシアンさん。パレストリーナからラフマニノフ、アルバン・ベルク、ティグラン・マンスリアンに至るまで、時代や様式を超えた声楽リテラテュアを網羅した広大なレパートリーを持つ彼女の高度な音楽性は、練磨された技巧、言葉の響きの詩的イメージに対する繊細な感覚、優れた自己制御力に加え、高貴な抒情性と内燃するドラマ性とに支えられており、とりわけ未知なる音楽語法への探求に心を砕くアルメニアの現代作曲家たちに幸福な報いをもたらす稀有な演奏家の一人として、彼らからの絶大な信頼を集めています。

     私自身が彼女と知遇を得たのは、2011年にイェレヴァンのアラム・ハチャトゥリアン邸博物館ホールで行われた私のリサイタルの終演後に楽屋を訪ねてくださった若手作曲家のゲヴォルク・バダリアン君からの紹介を得てFacebookの私のページに彼女がメッセージと友達リクエストを送ってくださったことがきっかけでした。その後に交わした文通の中で、彼女が大変な親日家であり、日本文化の熱烈な愛好者であることを知り、そのうちに彼女はイェレヴァン在住の日本語教師のもとで日本語のレッスンを受け始めたことを私に知らせてくれました。そして昨年秋、私の3度目のアルメニア来訪の折に彼女と直接対面することができ、その聡明かつ温かなお人柄に接しながら、一層の友情を深めることができました。友情の印として私が日本から彼女のために持参した『日本名歌110曲集』の上下巻を「私の宝物!」といつまでも大切そうに抱きかかえていらした姿には、彼女の純粋な感受性や誠実なお人柄がはっきりと滲み出ていました。
     次回の私のアルメニア来訪の折には、「日本・アルメニア音楽の夕べ」と銘打っての歌曲リサイタルを開催したいという希望が一致しており、その日が訪れることが何とも待ち遠しい限りです。

 



「第3回ルステム・ヤーヒン国際声楽コンクール」におけるライヴ
タテヴィク・モヴセシアン(ソプラノ)
ゲヴォルク・バダリアン(ピアノ)


 【タテヴィク・モヴセシアン】 
 アルメニアの首都イェレヴァン生まれ。2000年から2005年まで、国立コミタス記念イェレヴァン音楽院の声楽理論科に学び、ノンナ・メルクーモヴァ女史に師事。アルメニアや海外の作曲家による室内声楽作品および現代声楽作品をレパートリーとしながら、活発なコンサート活動を行う。2002年には「ラザール・サリアン記念作曲コンクール」において、第1位受賞作品であるアルトゥール・アヴァネソーフ作曲『春』を演奏し、アルメニア現代音楽の演奏家として名声を博す。2011年にタタールスタン共和国の首都カザンにおいて開催された「第3回ルステム・ヤーヒン国際声楽コンクール」において第3位受賞を果たし、同時にタタール人作曲家の作品の優れた演奏に対し、特別賞を受賞。この他、アルメニア内外における数々の演奏会や音楽祭において演奏を行う。また、高名なアルメニア人作曲家ティグラン・マンスリアンの歌曲集 “Canti paralleli”を含む数多くのアルメニアの声楽作品の初演者として知られる。

| comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
pagetop
| 1/1 |

12
--
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
--
>>
<<
--